こんにちは。石井久美子バレエプロジェクトのつっちーです。あっという間に12月、クリスマスに煌めくイルミネーションに心躍る季節となりました。仕事もプライベートも忙しい時期ではありますが、体調管理には気をつけて師走を乗り切りましょうね。
さて、今回のballet project通信#35は、2021年日本アカデミー賞で最優秀作品賞・最優秀主演男優賞に輝いた映画『ミッドナイトスワン』の作品レビューです。
『ミッドナイトスワン』は、Kバレエの飯島望未さんをはじめバレエ界からも称賛の声が相次いだ本格的なバレエ映画でもあります。
誰かに守られ、そして誰かを守り抜くこと。
トランスジェンダーへの不理解や社会問題を、綺麗ごとだけでは語れない世界で描いたこの作品は、観る者の心に深い余韻を残します。
※鑑賞に年齢制限は設けられていませんが、風俗産業や性別適合手術のリアルな描写と合併症など、非常にセンシティブなシーンもありますので、お子さまと鑑賞する場合はご注意いただけたらと思います。重要なところは伏せていますが、若干のネタバレ込みでレビューしていきます。

映画『ミッドナイトスワン』公式Instagram
https://www.instagram.com/m_swan0925/
『ミッドナイトスワン』のあらすじ
トランスジェンダーとして生まれた凪沙(草なぎ剛)は、故郷を離れて孤独と葛藤を抱えて、夜だけが羽ばたける世界といわんばかりに新宿のショークラブで働きながら暮らしています。
ある日、実家の母から電話があり、育児放棄にあっていた親戚の少女・一果(服部樹咲)を一時的に預かってもらえないかとお願いされます。こうして都会の片隅で、孤独を抱えたふたりの生活が始まりました。
一果には秘めたバレエの才能があったー
映画『ミッドナイトスワン』公式サイト
https://midnightswan-movie.com/
バレエ×トランスジェンダーの構想
『ミッドナイトスワン』の脚本も手がけた内田英治監督は、人生で初めて鑑賞したバレエが、熊川哲也さん主演の『ロミオとジュリエット』だったそうです。それから、吸い寄せられるようにバレエに強く惹かれたと語っています。
いつかバレエを題材とする作品、トランスジェンダーに関する作品を撮りたいと考えていて、それが『ミッドナイトスワン』というひとつの映画になりました。
監督はトランスジェンダーを描くにあたり、当事者である政治家や弁護士、夜の世界で働く方など様々な立場のトランスジェンダーの方に会い、インタビューを重ねたといいます。
また、凪沙を演じた草なぎ剛さんは、監督からトランスジェンダーに関する資料を受け取り、実際に当事者の方々と会う機会も設けてもらいました。生き方も考え方も一人ひとり違う中で、出会った人々からインスピレーションを得て、凪沙という人物を作りあげていきました。
1000人の中から選ばれたシンデレラガール
圧倒的な存在感で観客の心をつかんだのが、桜田一果役を演じた服部樹咲さんです。1000人の中からオーディションで選ばれたという彼女は、演技は未経験ながらも、4歳からバレエを習い数々のコンクールで優れた成績を残していました。
監督はオーディションではじめて服部樹咲さんの踊りを観た時から、「この子しかいない」と、涙がこぼれ落ちたといいます。自分がおかしいのかなと振り向くと、プロデューサーもハンカチを取り出して涙を拭っていたとか。
私も監督のこの言葉が、腑に落ちました。服部樹咲さんの持つバレエの実力、どこか憂いを帯びた力強い瞳、イノセントな美しさが一果と重なるのです。吸い込まれるようにスクリーンに惹きこまれてしまい、心が洗われるような気持ちになりました。
凪沙を演じた草なぎ剛さんもこの映画に欠かせませんが、一果を演じた服部樹咲さんの存在なしではこの映画は語れないと感じます。
千歳美香子が作り出すバレエのリアリティ
バレエ監修を務めたのは、元新国立劇場のダンサーである千歳美香子さんです。一果役のオーディションから深く関わり、バレエパートのリアリティをとことん追求してくださりました。
オーディションに送られてきた履歴書と映像を全て見ることから、キャスティングにも深く関わったといいます。当時、中学1年生だった服部樹咲さんとの出会いを「奇跡」と語り、オーディションから撮影を終えるまで、成長期であった彼女の心や体の変化まで支えていきます。
バレエに関わるキャストたちへの振付指導、衣裳や髪飾り、ヘアメイク、照明、小道具、美術まで心を配られました。千歳さんのお母さまはバレエ衣裳を制作するお仕事をされていたそうで、作中で凪沙と一果が頭に飾る白鳥の羽も、お母さまの制作したものに少しだけ工夫を凝らしたものだといいます。
彼女のバレエに対するこだわりがあらゆるシーンに散りばめられていますので、バレエ好きの方は映画をより一層楽しめるかと思います。映画という芸術の中で、バレエという芸術が語るべきシーンにとことん向き合ってくれたのが千歳美香子さんです。
凪沙の心の変化と草なぎ剛という俳優
私が持つ草なぎ剛さんのイメージは元SMAPメンバーの中でもあまり目立たず、「いい人」ばかりを演じている方の印象でした。
草なぎさんが演じる凪沙ですが、出会った頃は一果を厄介な存在として扱っていました。だけど、ひとつ屋根の下で過ごすうちにふたりの心の距離は少しずつ縮まっていきます。そんな凪沙の心情の変化を、声のトーンや表情で繊細に表現する草なぎさんの演技に注目です。
凪沙の心に変化が訪れたのは、一果の踊りをはじめて見たとき。この子を守らなければならない…その才能を開花させてあげたいという、母性のような感情が一気に膨らんだのではないでしょうか。その後、凪沙は一言「あげる」と、一果に白鳥の羽の髪飾りをつけてあげます。これは凪沙がショーに出演する時につけている髪飾りなのです。
凪沙も不器用で自分の気持ちを表現することが苦手ですが、「あげる」のそっけない一言の奥に、「これが本当に似合うのは、あなたよ。羽ばたいて」とエールを送っているようでした。髪飾りを譲りつけてあげる流れが押しつけがましくなくとても自然で、私の好きなシーンのひとつです。

映画『ミッドナイトスワン』公式Instagram
https://www.instagram.com/m_swan0925/
そして、凪沙は自分の髪をバッサリと切り、一果のために男性の姿で昼の仕事を探します。長い髪は、凪沙のアイデンティティそのもの。それを手放してでも、一果のために生きようと決意します。だけど一果は「そんなことしなくていい」と、漫画を読みはじめて学校に行こうとしないのです。
凪沙はそんな一果を穏やかな表情で「おいで」と、一果の頭を撫でながら「よしよし」と抱きしめてあげます。私も家庭では二児の母をしていますが、凪沙は世間の母より、思春期の子どもの揺れる心を理解しているのではないかと感じました。
一果がなぜ反抗的な態度を取ってしまうのか、すべて理解して包み込んであげているのでしょう。そんな凪沙の優しさに泣けてきて、胸がつまりそうになりました。
バレエ映画としての楽しみ方
一果がはじめて凪沙の部屋にやってきた時、部屋に吊るされたチュチュ(凪沙がショーで着ている)に視線を投げかけます。そしてひとりでいる時には、こっそりとチュチュを身につけ鏡の前で脚上げをしたりと、バレエを習っていたのかな?興味があるのかな?と思わせる演出があります。
また、作中はスタジオでのバレエレッスンシーンが、何度も映し出されます。どんどん上達していく一果にも注目ですが、ここで特筆すべきは一果のバレエの先生役で出演なさった元宝塚花組トップスターの真飛聖さんです。
「お母さん、継続です」
先生が凪沙に伝えるこのセリフ、私的には名言だと思っています。真飛さんの清らかで凛とした姿、分け隔てなくふたりに接してくれる性格も含めて、すべてがカッコよかったです。(いつか久美さんにもこんな役をスクリーンで演じてもらいたい!…と勝手に妄想。)
一果が夜の公園で凪沙にバレエを教える場面も印象的です。ふたりの距離が縮まり、会話のやりとりも友人のようで微笑ましく感じます。
バレエシーンの一番の見どころとしては、一果が『白鳥の湖』第2幕のオデットのバリエーション、『アルレキナーダ』のコロンビーヌのバリエーションを踊るところです。
バレエを通して生きる喜びを見出だす
一果はバレエの上達と共に、表情も明るく自分らしさを見つけだしていきます。ラストシーンでは、成長した一果の後ろ姿が映し出されます。NYの街を、凪沙が身にまとっていたようなトレンチコートに赤いパンプスで颯爽と歩くその姿は、まるで凪沙の魂が宿っているかのように見えました。
苦境の中で生きてきた子がバレエを通して生きる希望を見つけだし、夢に向って世界へ羽ばたいていく。以前、こちらのメルマガでも紹介した『リトルダンサー』から、監督は多くの影響を受けたのではないでしょうか。
凪沙のラストをめぐり賛否両論を巻き起こした作品でもあり、誰にでも気軽にお薦めできるとは言えませんが、バレエが好きな方にはぜひ観ていただきたいです。バレエのディテールにとことんこだわった映画だということを、あらゆるシーンで感じられると思います。
「誰かに愛されたい」「生きていたい」という願い。この作品は「人間の尊厳」そのものが映し出されているようにも思えます。水川あさみが演じた一果のお母さんも、一果への愛情がなかったのではなくて、ただ愛し方を知らなかっただけ。
内田監督が描きたかったのは、綺麗ごとでは語れない現実の中で、ひたむきに生きる人たちの中に生まれる希望の光だったのではないでしょうか。
社会の片隅で生きる人々の痛みを、バレエという芸術を通して希望の光に変える。その光にリアルなバレエを溶け込ませたことが『ミッドナイトスワン』を唯一無二の作品へと押し上げたのではないかと感じます。
作中で流れる渋谷慶一郎さんが楽曲を提供した「Midnight Swan」。バレエシーンに寄り添うように奏でられるピアノの美しい旋律が、観る者の感情を高ぶらせ物語をより深く胸に響かせてくれます。
ご興味のある方は、この冬休みの期間にぜひご鑑賞なさってくださいね。