皆さん、こんにちは。石井久美子バレエプロジェクトのつっちーです。立春を過ぎ、暦の上ではもう春ですが、まだまだ寒さの厳しい毎日が続いています。花粉症の季節も始まりましたが、お体には気を付けてあと少しの冬を乗り切りましょうね。
さて、今回のballetproject通信#16はロシア古典バレエの傑作とも名高い『愛の伝説』のストーリー紹介をはじめ、見どころや作品の魅力に迫っていきたいと思います。
バレエ『愛の伝説』とは
トルコ出身の詩人ナーズム・ヒクメットの戯曲を原作に、ロシアバレエを代表する振付家ユーリー・グリゴローヴィチが手掛けた作品です。
初演は1961年、当時のレニングラード劇場(現在のマリインスキー劇場)で行われました。グリゴローヴィチの独創的な振付がバレエ界に新風を巻き起こし、彼の才能を世界に知らしめることになります。
2015年、日本で37年ぶりに上演された時、久美子もマリインスキーのダンサーとしてシリンの友人役で出演しています。
ここからは物語の簡単なあらすじを追いながら、見どころシーンなどを私、つっちーが独自の視点を交えながら解説していきます。人間は愛という普遍的な感情にどのように翻弄されてしまうのか。それでは魅惑的な中東の世界へと足を踏み入れてみましょう。

美貌とひきかえに
舞台は女王メフメネ・バヌーが治める東方の国。
バヌーの妹、シリンが不治の病におかされ宮殿は悲しみに暮れていました。
すると、突然見知らぬ男が現れ、バヌーの美貌とひきかえにシリンの命を救うと言い出します。
バレエ『愛の伝説』では、バヌーの側近である宰相の登場で幕が明けるのですが、何だか怪しいビジュアル(アラブ風)に惹きこまれます。
手のひらを天に高く突き上げる動作が何度も出るのですが、とにかくただならぬ作品の匂いがプンプンします。
バヌーは妹のために見知らぬ男の条件を受け入れます。男はシリンの病を治し、シリンは瀕死の状態から回復することができましたが、美しいバヌーはたちまち醜い顔に変貌してしまいます。
美貌を失った苦しみを表現するバヌーのバリエーション。バレエは喜怒哀楽や情緒を体の動きで形象しますが、バヌーの指先ひとつから絶望が伝わってきます。
ルッキズムに支配されることが愚かだなんて誰が言えるのでしょうか。美しくありたいと願うのは生物として自然な感情。醜さとは対極のバヌーの魅力が際立つ必見のバリエーションです。
好青年フェルハド
ある日、バヌーとシリンのふたりは、宮殿の庭園で宮廷画家のフェルハドに出会います。
注目すべきはここです!
筋骨隆々とした快活でたくましいフェルハドの登場。
舞台が一気に華やぐかのような存在感。鮮やかなコバルトブルーの衣装に真っ白のターバン姿も爽やかで、純真で眩い青年です。
舞台上を大きく対角線上に飛び回り、圧倒的な身体能力でクライマックスのような盛り上がりを見せてくれます。
たくましく溌溂としたフェルハドですので、バヌーもシリンもたちまち恋をしてしまいます。
しかし、フェルハドは美しいシリンに想いを寄せ、二人は激しい恋に落ちます。
苦悶のバヌーと幸せなシリン
フェルハドへの愛に苦しむバヌー。愛と憎しみの狭間で自分の行動をひたすら悔みます。
醜い姿の自分をフェルハドが愛すことなどあり得ない。絶望と嫉妬。ひたすら負の情念が渦巻き、バヌーには二重の苦しみが押し寄せるのです。
ここでのアダージョも必見です。深紅の衣装を纏い、抑えきれない苦しみを表現します。叙情詩的なバヌーの葛藤に、胸が張り裂けそうになります。
独特な振付も不協和音も感情を揺さぶってきますし、皮肉な運命を残酷に物語ります。
宮殿に仕える人々はバヌーを元気づけようとしますが、バヌーは苦しみから抜け出せません。
一方、シリンはフェルハドからの情熱的な愛に、これ以上ない幸せをかみしめています。
シリンとフェルハドのアダージョも、アクロバティックで見応えたっぷりです。ロシアバレエの強さと美しさを再認識させてくれます。
しかし、シリンはこの幸せがいつか壊れてしまうのではないかという不安から、フェルハドと一緒に宮殿から逃げ出してしまうのです。
恋は盲目。恋の渦中は誰しも大胆になりますが、シリンもそうです。バヌーが大きな犠牲を払い自分の命が救われたということを忘れてしまうほどに。
怒りのバヌーがフェルハドに課したこと
ふたりの逃避を知ったバヌーは怒り狂います。
恩知らずの妹を捕らえるように命令をくだし、ふたりは宮殿へ連れ戻されてしまいます。
ここでの追跡シーンも圧巻です。個人的には宰相とバヌーに注目。宰相は、フェルハドと対照的な役ですが、私としては登場の瞬間からかなり気になる存在でした。
バヌーのことを愛しているのでしょう。この物語になくてはならない存在で、素晴らしい動きをずっと見せてくれます。力強い回転も見せ場。
連れ戻されたシリンは、バヌーにフェルハドとの愛を引き裂かないでほしいと懇願します。しかしバヌーは怒りで平常心を失い、フェルハドに果たせることなど到底できない過酷な任務を課すのです。
それは、山を切り開き高地にある水源から、谷まで続く水路を作るようにすることです。
その水路が完成しない限り、シリンとフェルハドの結婚を許しません。
無理難題を課せられたフェルハドですが、シリンへの愛を請うためにひとり山へと向かいます。
ふたりの愛を引き裂いたバヌーですが、フェルハドへの愛はより一層苦しみとなりバヌーの心を突き落とします。日夜、愛するフェルハドのことが頭から離れません。ついには、美貌を取り戻してフェルハドに愛されることを夢想するのです。
この幻想の中でのバヌーとフェルハドのアダージョも必見です。フェルハドがとても魅力的。バヌーが想像するここでのフェルハドは、ただ爽やかな好青年ではなく、妖艶で雄らしい強さと色気に満ちています。
鉄の山のフェルハド
フェルハドは山を切り開き水路を作ることに精を出します。フェルハドが力強く岩を砕くたびに、人々は歓びフェルハドを讃えます。
民衆たちは、苦しい環境の中でフェルハドという希望に未来を託しています。
ここでのフェルハドも、鳥肌もののバリエーションを見せてくれます。
登場した時とはまた違うオーラで、神々しさが宿っています。フェルハドは民衆の救世主であり英雄でもあるのです。
時は流れ、10年の歳月が経ちました。フェルハドはシリンの顔を忘れてしまいますが、それでも記憶の中でのシリンは白く輝きを放っています。
水の谷へバヌーとシリンがやってきました。フェルハドはシリンとの再会を心から喜びます。
そんなふたりを目の当たりにしたバヌーは、ふたりが山を降りて宮殿で暮らすというのなら、二度と別れさせるようなことはしないと言い出します。
しかし、フェルハドは民衆を裏切ることはできません。シリンへの愛は永遠ですが、フェルハドの愛はシリンから民衆へと向けられていました。
フェルハドは山へ残る決意をします。シリンもフェルハドの気持ちを理解し、ふたりは別れを告げます。
フェルハドは自己を犠牲にし、民衆たちのために生きる道を選びました。
ここでバレエ『愛の伝説』は幕を閉じます。

『愛の伝説』と共産主義
駆け足ではございますが、『愛の伝説』の簡単なあらすじと見どころを解説しました。
原作者のナーズム・ヒクメットはトルコの名家の生まれですが、学生時代にロシアに留学し帰国後は共産主義者として活動を広げていきます。
そのことから、反政府容疑で逮捕されてしまい28年もの刑に科せられます。『愛の伝説』はヒクメットが獄中で執筆を始めた物語です。
渦巻く感情が圧倒的なリアリティで迫ってくるのは、ヒクメットの環境や精神状態も少なからず関係していたかもしれません。
普遍的な愛を語りながら、自己犠牲と社会への献身がテーマでもあり、共産主義の思想と結び付く物語とも言えます。
しかし、共産主義と正反対とも言えるのが宰相の存在でしょうか。本能に忠実にバヌーを愛した男。バヌーもフェルハドではなく宰相を愛したのなら、ここまで苦悩することはなかったかもしれません。
私もメルマガ執筆にあたり『愛の伝説』の世界に初めてどっぷりと浸りました。日本語で得られる情報が少ない中で私なりに解釈しまとめてみましたが、誤りがありましたら申し訳ございません。
『愛の伝説』がロシア古典バレエの傑作と称される理由が、皆さまにも伝わりましたでしょうか。中東の香りが漂う媚薬のように刺激的な『愛の伝説』の世界を、楽しんでいただけたのなら嬉しく思います。
こんなにも一途に愛し愛されたことは私の人生ではありません。フェルハドへの愛が苦しみとなりバヌーの心を蝕んでいきましたが、聖人君子のような美しい青年を強く愛し抜いたことが、バヌーの生きる力になっていたかもしれません。
本日もお忙しい中、最後までお読みくださりありがとうございます。次回のballet project通信#17は『素人が「久美子式甲出し」をしてみたら』です。