ballet project通信

【#019】バレエ小説『spring』ブックレビュー


ballet project通信では、石井久美子バレエプロジェクトの裏側やバレリーナ石井久美子の素顔、驚くハプニングや笑える話、感心してしまう話、泣ける話などなど、みなさんと共有したい話題を、密度高く発信していきます。余暇のお供に気軽に楽しんで頂けたら嬉しく思います。

皆さん、こんにちは。沈丁花の清々しい香りが漂うと、ちょっぴりせつなさがこみあげるつっちーです。春は出逢いと別れの季節ですね。新しい環境へと飛び立つ方たちが素晴らしい一歩を踏み出せますように。

さて、今回のballet project通信#19 は、恩田陸のバレエ小説『spring』のブックレビューです。「2025年本屋大賞」にノミネートされたこの小説は、直木賞作家である恩田陸が構想・執筆10年の時を経て辿り着いた、最高到達点のバレエ小説です。

今回は核心には触れずにさらりとあらすじを紹介しながら感想を綴っていきますので、これから読みたい!という未読の方も安心してお進みくださいね。
それでは、芸術を言語化する天才作家・恩田陸が織りなすバレエ小説の世界へ飛び込んでみましょう。


『spring』恩田陸(筑摩書房)

著者・恩田陸について
私がはじめて恩田陸の小説と出逢ったのは、かれこれ20年も前のことになります。今となっては本好きの間で注目度の高い「本屋大賞」といえますが、当時は創設されたばかりの真新しい賞でした。

『夜のピクニック』が第二回本屋大賞を受賞した頃、私も書店で目が合ってしまい手に取りました。
永遠の青春小説。夜から朝にかけて80キロをひたすら歩くという、高校生活最後を飾るイベント「歩行祭」。それぞれの想いや決意を胸に若者たちはひたすら歩く。

そして記憶に新しいのが、史上初の直木賞・本屋大賞のW受賞を果たした『蜜蜂と遠雷』。
大きな話題にもなりましたし、こちらは読まれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
国際ピアノコンクールに挑む4人のピアニストたちの葛藤や成長を、圧倒的な筆力と臨場感で描きます。「音が聴こえる小説」とはまさにこのことで、その没入感に痺れました。

そして2025年。恩田陸の小説が再び本屋大賞に戻ってきました。それも、バレエを舞台にした物語。読まないわけにはいけませんね。


恩田陸(おんだ りく、1964年10月25日 )
青森県青森市生まれ。
『六番目の小夜子』(1992)でデビュー。ホラー、SFなど枠にとらわれず、郷愁を誘う情景描写に定評がある。『夜のピクニック』(2004年)で本屋大賞、『蜜蜂と遠雷』(2016)で直木賞・本屋大賞を受賞。


spring
~俺は世界を戦慄せしめているか~


“少年は八歳でバレエに出会い、十五歳で海を渡った。”
小説『spring』は天賦の才を持つ、舞踏家にして振付家でもある萬春(よろず はる)の物語です。章ごとに語り手が変わり、4人の視点から春という人物が語られていきます。

ダンサーJUNからみたHAL、大学講師の叔父からみた春、幼馴染で作曲家の七瀬からみた春ちゃん、そして春本人の視点。4つの章を読み終えると、外堀が埋められていくように春の輪郭が浮かび上がってきます。


第一章 跳ねる
~JUN(深津純)から見たHAL~


“突然、視界の隅に違和感を覚えた。何か違う質感を持ったもの。
そこにヤツはいた”


ドイツの名門ダンスカンパニーが日本で開催したワークショップ。ここが純と春が初めて出会った場所。
いつもセンターの一番後ろにいるヤツ(春)。ダンサーたちからも一目置かれる春に、純も出会いの瞬間から強く魅せられていきます。ヤツの目は何を見ているのか。

クラシックバレエは花束、コンテンポラリーを樹木と例える春の言葉が印象的でした。
純のキャラがなかなか良くて、彼も才能に溢れた目を惹く美しいダンサーであることに間違いありません。
個人的にはこの章の春の偶像的存在感と、ライバルであり仲間でもある純とのバディー感が好きでした。春とは一体どんな人物でここから物語はどんな広がりを見せてくるのか、謎を解明していくようなワクワク感に包まれます。


第二章 芽吹く
~叔父(稔)から見た春~


“彼は美しい子どもだった”

大学で英文学の講師をしている叔父から見た春は、興味を引く少年です。春のダンサーとしての根幹を作ったのは、この叔父の書斎で過ごした時間。

春は幼い頃から観察力や探求心が強く、画家の描いた未完成の馬の絵を見て、その続きを“動いて”みせます。それを見た叔父は、やっぱり不思議で面白い子だと。

豊かな自然の中で育ち河原でくるくるっと回った少年は、運命を変えるつかさ先生と出会います。図抜けた才能というものは、才能の方が教師を呼ぶのです。

春のバレエ人生が開花していくこの章が一番好きという方が多いのではないでしょうか。空に舞う綿毛のように、ふわふわとかろやかさも感じる章でした。


第三章 湧き出す
~七瀬からみた春ちゃん~

“春ちゃんが踊っていると、明るく大きな空間を感じるのだ。”


滝澤七瀬は春と同じ教室でバレエを習っていた幼馴染。バレエを辞めた後は音楽の道へと進み作曲家となり、バレエ音楽を作り出します。七瀬も天才としか言いようがない。

実はこの章で、私なりに構築してきた春の人物像がガタガタっと崩れ落ちました。
飄々として少し近寄りがたいイメージを作り上げていたのですが、春はもっと無邪気で熱を帯びていて、喋り方もごく普通の若者のそれです。

ダンスが「エロくなーい」を連発して、踊っていない春はもしかしたら普通の人と変わらないかもしれない。人物像を読み取る私自身の思考の薄さにも気付かされた章でした。
天才だからといっていつでも武装しているわけではなく、もっと自然体でいい。舞台の上と舞台を降りた時の素顔は別人なのだから。

天才×天才。春と七瀬がひとつの作品を作りあげる熱量が凄まじいです。私たち、読者がその情熱にどこまでついていけるのかで、この章の面白さは変わってくるのではないかと感じました。


第四章 春になる
~春自身の視点~

“踊ることは、祈ることに似ている”


春の空が霞んでいるように、読み始めはぼんやりとする萬春という輪郭。
この章があって良かった。最後に春自身の視点から読み解くことで、春の苦悩や恐怖を私たちも体験し、春という人物に近づけるのです。

春は自分らしく生きるためにバレエが必要だった。

最後の数ページからラストにかけての、春の高揚感がたまらなかったです。恩田陸の作家魂が、春の魂にそのままのりうつったかのような迫力ある文章が続きます。
バレエを舞台で踊ったことがある方でしたら、イメージではなく経験した出来事としてより深く響くものがあるのではないでしょうか。

恩田陸の深すぎる想像力とバレエ愛


作中で語られる恩田陸(春)が創作したオリジナルバレエの描写に唸ります。(十作品以上のバレエを生み出しています。)

ふたりが鏡写しのように隣り合わせで踊る「ヤヌス」、ハリウッド映画へのオマージュ「アサシン」、そして純が、ヤツが振付したバレエの中で一、二を争うぐらいに好きだという「KA・NON」などなど。

こんなバレエ演目が実際にあるのなら観てみたい。著者の想像と妄想がふんだんに盛り込まれていて、深いバレエ愛が伝わってきました。

実は私、映画鑑賞が趣味のひとつで、映画×バレエの話が語られた時には一緒に想像を膨らませてしまいました。映画のバレエ化(そんな言葉はないですが…笑)で、ぜひ公演してほしいと、いの一番に思い浮かんだのは『ベン・ハー』。

奴隷船を漕ぐシーンは特に迫力満点。男性ダンサーたちが圧巻の群舞を見せてくれそうで、想像するだけでも鼻息荒くむふむふしちゃいます。

そしてもうひとつは『ローマの休日』。
麗しすぎるアン王女とダンディな新聞記者とのキュートな関係を、バレエでどう表現するのか。サンタンジェロ城前で開かれる船上のダンスパーティーもにぎやかで楽しそうだなって。

いやはや、私の妄想が出すぎてしまいましたが、好きなところで読者が立ち止まって自由に想像の翼を広げることができることが読書の醍醐味ですよね。
(皆さんも「この映画をバレエで観てみたい!」という作品がありましたら教えてくださいね。)


『spring』を読み終えて

今回のメルマガではバレエ小説『spring』がどんな物語で春とはどんな人物なのか、イメージが浮かびづらかったことと思います。

時系列がバラバラなのでストーリーが追いづらかったこともありますが、実は私も春がどんな人物なのかは読了後でもわかりません。
だけど、幼い春が未完成の馬の絵を見て続きを動いてみせたように、私自身で春という人物の続きを描いていけたらと。読者の心に各々の「萬春」が咲き誇ればいいのかなって。

春のことを著者である恩田陸が、自身の小説が生み出した登場人物の中で「過去一番に萌えた」と言っているようです。(恩田さんの男性のタイプを垣間見た気がします。笑)

最後にちょこっとおまけ話を。
単行本限定にはなりますが、ページをめくると「パラパラ漫画」が楽しめるようになっていて、ダンサーのシルエットが躍動感をもって踊りだします。
しかも、このダンサーにはモデルがいまして、東京バレエ団の生方隆之介さんと、元東京バレエ団の南江祐生さんが務めてくださったそうです。

宝石箱のようにキラキラとバレエ愛が詰まった『spring』。
興味を持たれた方はぜひ手に取って読んでみてくださいね。今の季節にぴったりな、かろやかで甘い読書体験に酔いしれてください。

本日もお忙しい中、最後までお読みくださりありがとうございます。次回のballet project通信#20は「中濱瑛先生の一年の歩み」です。乞うご期待です。