ballet project通信

【#031】佐々晴香さんインタビュー(前編)


ballet project通信では、石井久美子バレエプロジェクトの裏側やバレリーナ石井久美子の素顔、驚くハプニングや笑える話、感心してしまう話、泣ける話などなど、みなさんと共有したい話題を、密度高く発信していきます。余暇のお供に気軽に楽しんで頂けたら嬉しく思います。

こんにちは。石井久美子バレエプロジェクトのつっちーです。十月の声を聞き、ようやく秋めいた頃ですが、皆さまはいかがお過ごしですか。芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋。趣味を楽しむのにぴったりなこの季節を満喫しましょうね。

さて、今回のballet project通信#31は、ベルリン国立バレエ団のプリンシパルとして、国際的に活躍なさる佐々晴香さんのインタビューを紹介します。

高い技術と豊かな表現力を併せ持つ晴香さんは、太陽のように明るい笑顔がとても魅力的な女性でした。このインタビューでは、今まで歩んで来られたバレエ人生、海外での生活とご自身の価値観にも触れたエピソードを語ってくださりましたので、佐々晴香さんの飾らない素顔の魅力に迫っていけたらと思います。

(※インタビューは前編・後編の2回に分けてお届けします。また、久美子と佐々晴香さんのレッスン風景も、ただいまYouTube配信に向けて準備中です。どうぞお楽しみに!)

ベルリン国立バレエ団 佐々晴香  (c)四方花林


幼少期〜ドルトムントバレエ団

ー本日はよろしくお願いします。まずはバレエを習い始めたきっかけからお聞きしてよろしいですか。

よろしくお願いします。私はヒップホップから始めました。きっかけは、地域のカルチャーセンターにあったヒップホップ教室で。母が「やってみる?」と声をかけてくれて、習い始めました。その後、同じカルチャーセンターで新しくバレエ教室が開かれることになり、また母が「今度はバレエもやってみる?」と勧めてくれて。私も「うん」と、始めたのが5歳のときでした。

ー晴香さんはどんな子どもでしたか。

子どもの頃はとにかく元気いっぱいな子で、常に踊っていたり歌っていたりそんな子どもでした(笑)

ー今の晴香さんと重なります(笑)バレエ教室ではどんなレッスンをしていましたか。

宝塚で娘役をなさっていた方のお教室で、厳しさはありつつも踊る楽しさや楽しむ気持ちを大切にしてくださる先生でした。

ー元タカラジェンヌさんのお教室だったのですね。小学校時代はそちらの教室でずっとバレエをされていましたか。

小学校5年生の時から週末にJJB(日本ジュニアバレエ)に通い始めました。

ーそれは本格的ですね。プロを意識するようになった頃でしょうか。

私は負けず嫌いだったのですが、プロになろうという意識はあまりなかったんです。バレエが上手に踊れなくて、できないできないって思いながらいつも踊っていました。コンクールでも結果なんて出したことがなかったです。

できる層を見て「みんなすごいな~」って眺めていて、追いかけていったらこうなりました(笑)

ーははっ(笑)実力が伴っていたのかと思います。そして中学生の時に家族でアメリカへ。

親の転勤が決まってアメリカのミシガン州(デトロイト)に住み始めました。そこでもバレエを続けていたのですが、本当にめちゃくちゃ厳しいバレエ教室でした。

レッスンはいつもピリピリしている感じで、英語はわからないし大変でした。ロシアのワガノワメソッドの先生で、日本ではバーレッスンでポワントは履いたことがなかったのですが、そこのお教室では決まった曜日はずっとポワントでレッスン。ヨガもやるし、ピラティスもやるしと、すごい環境でした。

ーそれは聞くだけでも厳しそうな環境です。

ここで鍛えられたというのがあります。当初はアメリカに5年ぐらいいると聞いていたのですが、結局2年半いて高校受験の時には日本に帰ってきました。

ー日本に帰国してからもバレエを続けられますが、学校生活との両立はいかがでしたか。

高校3年間は本当にバレエ漬けの毎日でした。2つのバレエ教室に通っていて、家から近いところと、東京シティバレエ団付属の教室でした。放課後もほとんど毎日、レッスンに行っていましたし、バレエ中心の生活でした。

ー高校を卒業しヒューストンバレエアカデミーへ留学されますが、きっかけはありましたか。

高校生の時にYAGPに出場しスカラシップを頂きました。スカラシップコーディネーターの川西さんという方がいまして、彼女が何人かダンサーを連れてヒューストンに1週間ぐらい行くということで、「一緒に来る?」と、お声掛け頂いて。そしてヒューストンへの留学許可を正式に頂き、高校卒業後にヒューストンに1年間留学しました。

ーヒューストンへの留学はYAGPがきっかけだったのですね。

デトロイトとヒューストンでは南と北ですし、気候が全く違いました。1年間厳しい環境でバレエを学びながら、カンパニーの舞台に立たせてもらえることもあり、充実した1年間でした。もう1年間学べたのですが、「あなたは歳だから、早くお仕事につきなさい」って(笑)

ーえええ。でも確かにバレエの世界は高校在学中に留学する子が多いですよね。

バレエの世界では高校卒業から留学では遅いぐらいです。「あなたはセカンドカンパニーにいるのはもったいない」って、「早く仕事を見つけなさい」と、背中を押してくださりました。

ー改めて厳しい世界です。

アメリカでも仕事を探していましたが、オーディションなど初めてのことで、私もあまり理解ができていなくて、タイミングなども合いませんでした。アメリカはビザの問題もあるし、その時はヨーロッパは考えられなくて。アメリカで言語に苦労したので、もう違う言語は学びたくないって!(笑)日本かアメリカしか考えていませんでした。

ーそして日本へ帰国なさるのですね。

YAGPのジョブフェアがNYで開催されて、その時に東京シティバレエ団の芸術監督から、お声掛けを頂きました。高校時代に付属の教室に通っていたこともあり、お世話になっていた方なので。「帰ってくるところはあるからね」と、東京シティバレエ団のオーディションを受けて、プロのダンサーとして入団しました。

東京シティバレエ団の仲間たちと

ー東京シティバレエ団で、印象に残っていることはありますか。

2年間在籍していましたが特に印象に残っているのは、全幕で「白鳥の湖」の主役をさせてもらったことと、レオムジック振付の「死と乙女」という作品のネオクラシックが踊れたことも、新鮮な体験でした。

ーやはり全幕物での主役は特別ですね。「死と乙女」も貴重な体験だったと思います。

ヒューストンのバレエ学校が厳しかったので、強くなって日本に帰ってきたと思いましたが、東京シティバレエ団に入団して日本のマナーや気遣いがわからなくて苦労しました。その時は何を言われても「何で言われなきゃならないんだろう」って、難しいなと思いました。

ーそうでしたか。日本は自分がどう思うかより、相手がどう思うかを優先する国なので、カルチャーショックはあるかと思います。

どこのバレエ団でもあると思いますが、海外からゲストの先生をお呼びしてレッスンなどをする機会があります。私は英語ができたので細かい指示も理解できましたし、目についたのかと思います。ゲストの先生がくるたびに「ヨーロッパへ行くのはどう?」と、本当に毎回毎回言われたので、ヨーロッパのバレエ団も考え始めました。

ーゲスト講師も、晴香さんには世界が向いていると感じたのですね。

日本のダンサーは世界と違い金銭面で苦労している方も多いです。私も教えるなどのアルバイトをしていましたが、日本で親に金銭的な負担をかけられないという理由も大きかったと思います。

ー日本のバレエ界も変わっていってほしいですね。

「白鳥の湖」に来ていたアシスタントの方で、ドイツのドルトムントバレエ団に携わっている方がいて「ドルトムントに来なよ」と、誘って頂きました。そしてオーディションを受けに行って、1週間後に結果がきてドイツへ飛ぶことになりました(笑)

ーいよいよヨーロッパへ。ドルトムントはどんなバレエ団でしたか。

ドルトムントは30人ぐらいのカンパニーで大きいという感じではなく、アットホームなバレエ団でした。基本、ネオクラシックを行うバレエ団でしたが、ジュニアカンパニーもあって、多くのチャンスに恵まれて舞台にもたくさん立たせて頂きました。

インターナショナルなカンパニーでラテン系の人が多かったと思います。様々なバックグラウンドを持つ人に出会うことが刺激的で、自分が寛大になれたと思います。

ーはじめてのヨーロッパでしたが、印象に残っていることなどありますか。

ヨーロッパで踊るということは、クラシックだけでは通用しないので、私自身かなり視野が広がったと思います。印象に残っているのは「白鳥の湖」でオデット(/オディール)を踊ったこと。リハーサル期間が短くて厳しいこともありましたが、とてもいい経験になりました。

白鳥の湖/ドルトムントバレエ団

ープライベートはいかがでしたか。

きっちりという時もあるけど、ルーズな人が多いです(笑)ラテン系の友達が多かったので6時にご飯ね~と言っても、9時にきたり(笑)

ーラテン系あるあるですね(笑)

それでも世界は回っているんだということをそこで学び、人間的にも成長できたと思います。ドルトムントでは仲間に恵まれました。だけど仕事とプライベートの区別がつかなくなってしまって。ドルトムントでの師匠イリヤ・ロウエンが、あなたはドルトムントにこのままいても、これ以上は上がれないから、どこか他のカンパニーに行きなさいって。

ーそのように言ってくださる師匠がいらっしゃることは、ありがたいです。

ドルトムントの環境には満足していたのですが、もっと古典を踊ってみたいという気持ちもあり、いろんなオーディションを受けました。

ーさらに成長を求める気持ちが膨れ上がったのですね。

イリヤのコネクションもありオーディションを受けた中で、ポーランドとスウェーデンのカンパニーからお声を頂けることになりました。ポーランドのバレエ団では、コールドとして。スウェーデンではソリストとして…だけど、監督が退任というタイミングでした。
監督が決まっていないのはどうだろうと思いましたが、街の雰囲気もポーランドよりスウェーデンが私にあっていると感じて、スウェーデンへ移りました。シーズンが始まる直前に新しい監督も就任したので、タイミングも良かったと思います。

このようにして、ドルトムントバレエ団からスウェーデン王立バレエ団に移籍した佐々晴香さん。ここから彼女のバレエ人生は新たな扉を開いていきます。

次回のメルマガでは、佐々晴香さんのスウェーデン王立バレエ団から、現在に至るまでを紹介したいと思います。