ballet project通信

【#024】直塚美穂さんインタビュー


ballet project通信では、石井久美子バレエプロジェクトの裏側やバレリーナ石井久美子の素顔、驚くハプニングや笑える話、感心してしまう話、泣ける話などなど、みなさんと共有したい話題を、密度高く発信していきます。余暇のお供に気軽に楽しんで頂けたら嬉しく思います。

こんにちは。石井久美子バレエプロジェクトのつっちーです。梅雨の晴れ間、夏本番を思わせる暑さが押し寄せていますが、皆さまはいかがお過ごしですか。暑さに体がまだ慣れないこの季節、熱中症にはくれぐれも気を付けてくださいね。

さて、今回のballet project通信#24は、新国立劇場でご活躍なさっている直塚美穂さんのインタビュー紹介です。気さくにたくさんのエピソードを話してくださいましたので、美穂さんの変化に富んだバレエ人生を一緒に追ってみましょう。

新国立劇場 直塚美穂


―本日はよろしくお願いします。4月に新国立劇場で鑑賞した『ジゼル』のペザント。力強くとても魅力的でした。バレエはいつから習い始めたのでしょうか。


よろしくお願いします。バレエは4歳から習っています。1歳ぐらいの時に、音楽が鳴り出すおもちゃに合わせて私がリズムを取って、曲別に違う動きを見せたそうなんです(笑)それを見た母が「踊りが好きなのかな」と、幼稚園のバレエ教室に通わせてくれたことがきっかけです。


―曲ごとに動きを変える1歳、神童エピソードですね(笑)小学校から本格的なバレエ教室に入られましたが、はじめて出場したコンクールの話をお聞かせください。


小学校高学年の頃、東京新聞主催のコンクールでフロリナ王女を踊りました。はじめてのソロで緊張しすぎて、練習してきたことを本番で出しきれませんでした。悔しくて、幕に入って泣いた記憶があります。

―本気だからこそ、溢れた涙ですね。海外のコンクールにはじめて出場したのはいつですか。


13歳の時にユースアメリカグランプリに出場し、黒鳥のソロを踊りました。NYで本選がありましたが、約300人の候補者の中から12人の中に入り銅メダルを頂きました。


―素晴らしい結果を残せましたね。いつからプロを目指すようになりましたか。


中学生になる頃にはプロになりたいと思っていました。だけど両親が厳しく学業との両立が条件だったので、学校も休まずバレエは週6で夜10時まで。テスト中もバレエに行ってたので、その時は徹夜でテスト勉強をしていました(笑)。


―凄い!まさにスーパー中学生(笑)ロシアバレエとはいつ出会いましたか。


中1でボリショイバレエの「白鳥の湖」を観た時に魅了されて。ザハロワが好きで観に行ったのですが、自分が踊っているバレエと違いすぎて衝撃を受けました。全幕のバレエを観たのもはじめてのことで、その時の感動が今も胸に焼き付いています。


―それは忘れられない体験でしたね。高校生の頃はどのように過ごしていたのでしょうか。


高校生になると、学業との両立は厳しいと両親も理解してくれるようになりました。私はバレリーナになりたいしロシアに行くんだから、もう学校の勉強はいいやって。授業中にロシア語の勉強をしたり(笑)


―授業中にロシア語の勉強ですか!(笑)


高校生でワガノワに行きたいと考えるようになって、その時はまだスマホとかもなかったので家のリビングのパソコンで、どうしたらワガノワに行けるのか自分で調べました。今はいろんな方法があるかと思いますが、当時は栃木でのオーディションでしかワガノワへの留学の道が開かれていなくて。

―久美さんも栃木のオーディションから、ワガノワへ留学しています。美穂さんもオーディションに見事合格されましたが、ご両親はどんなお気持ちでしたか。


喜んでもらえました。うちはサラリーマン家庭でしたので、バレエにずっとお金をかけてもらっていることに申し訳ない気持ちがあって。その分、頑張らなきゃいけないって強い気持ちが私にはありました。


―立派な考えです。単身でワガノワに行くことに不安はありましたか。


なかったです(笑)やっと行ける~って。楽しみでワクワクしかなかったです。空港では泣いてしまいましたけど。


―両親との別れは淋しいですよね。ワガノワではどんなレッスンを受けていましたか。


実は想像していたより楽だったんです(笑)もっと、バレエ漬けの生活を想像していたので。朝、バレエのクラスだけして終わりとかもありましたし。

―そうなのですね(笑)ワガノワには久美さんがいました。どんな印象でしたか。


はじめは背が高くて綺麗な人がいる~って印象だったのですが、すぐに打ち解けて仲良くなって、そこからはずっと久美にひっついていました。久美は私にロシア語も教えてくれたり、先生の指示を教えてくれたりと、久美の存在がめちゃくちゃありがたかったです。


―久美さんが親切に面倒見良くしているところ、想像がつきます。


一緒に自主練したり、レッスンが終わってから久美の部屋で一緒に足湯をしたりと、ふたりでよく過ごしていました。レッスンが終わってから、一緒にマリインスキーを観に行ったりもしていました。


―ワガノワにやってきたばかりの美穂さんにとって、久美さんはかけがえのない存在でしたね。


久美がいなければ、今の私は存在しないと思っている。久美はバレエが好きで情熱を持っていて心から尊敬している。私もバレエが大好きでバレエしかなくて、そんなところでも、久美とは通じるものがありました。

久美子とマリインスキーのコンサートホールにて

―ふたりはバレエ愛で繋がっていますね。卒業後、サンクトぺテルブルグバレエシアターに入団されますが、どんな経緯で入団することになられたのでしょうか。


ワガノワの卒業公演を、サンクトペテルブルグバレエシアターの方が観に来てくださっていたので、そのままスカウトされて入団が決まりました。「私、サンクトペテルブルグに残れるんだ!」って、本当にうれしかったです。


―それは嬉しいですね。ここからロシアバレエ団の一員としての歩みが始まります。


入団してすぐ『白鳥の湖』のパドトロワなど、ソリストのパートも踊らせてもらえました。だけどリハーサルがとにかく短くて。順番を覚えたら「はい、本番!」って感じで。
これが“プロの世界”なのかな、という思いでやってました。だけど、他のバレエ団のダンサーに話を聞いたら「それはハードだよ」と言われて。私は、もっと自分の中で完成度を高めて、納得した形で舞台に立ちたかったので、次第に疑問を感じるようになってしまって。


―大変でしたね。そこへ怪我も重なり…


はい。そんな時に疲労骨折してしまって、舞台に立てなくなってしまい…それがきっかけで、サンクトペテルブルグバレエシアターを退団することになりました。

サンクトペテルブルグバレエシアター『白鳥の湖』

―退団は自然の流れだったように感じます。そしてミハイロフスキーバレエ団へ。


ロシアではよくあることですが、サンクトぺテルブルグバレエシアターにいた頃、ミハイロフスキーのダンサーがよくゲストで踊ってくださっていました。そこで「うちにおいでよ」と声をかけて頂いて、プライベートオーディションを受けることになりました。


―プライベートオーディション!それはまた緊張しそうです。


めちゃくちゃ緊張しました(笑)クラスレッスンを一緒に受けるだけなんですけど、監督やコーチが私一人を見に来ているので。しかも、当時ミハイロフスキーにはアジア人がひとりもいなかったので、それもプレッシャーでした。


―でも見事、入団ですね! おめでとうございます。


ありがとうございます。雰囲気もすごく良くて、私自身とても好きなバレエ団でした。公演数も多くやりがいもありました。でも、レパートリーがあまり変わらなかったんです。『白鳥の湖』『海賊』『眠れる森の美女』など、決まった演目がぐるぐると繰り返される感じで、役もいつも同じでした。


―なるほど。もっといろんな作品に挑戦したい、という気持ちが芽生えてきたのでしょうか。


満足はしていたんですけど、どこかで「このままでいいのかな」って、もっといろんなバレエを踊ってみたいって気持ちが大きくなって。そんな時、リフトで落ちてしまい大怪我をしてしまったんです。


―それは大変な事故でしたね。


3か月ギプス生活で、もう踊るどころではなくて。部屋で筋トレするくらいしかできなくて、心も少し病んでしまいました。はじめて日本に帰りたいという気持ちになって。


―話を聞くだけでも辛い時期です。


体が少しずつ動くようになると、気持ちも前向きになってきて。「私は本当にここでロシアを去っていいのかな?」と考えるようになりました。ロシアを去る前に、ずっと気になっていたバレエ団を最後に受けてみようって。そこがロシアで最後に在籍していたモスクワ音楽劇場バレエです。


―ロシアに残ることをかけた挑戦ですね。


受けるかどうかすごく迷っていたのですが、ワガノワ時代の後輩でモスクワ音楽劇場バレエにいる男の子が「プライベートオーディションをしているから、連絡してみたら?」って背中を押してくれて。バレエ団にロシア語でメールして、またプライベートオーディションをしてもらえることになり、無事入団が決まりました。

モスクワ音楽劇場バレエにて『ドン・キホーテ』

―おめでとうございます。モスクワ音楽劇場バレエでは、どんな時間を過ごされましたか。


一番、好きなバレエ団だったし私に合っていました。クラシックバレエもしっかりやりながら、ネオクラシックも積極的に取り入れているので、多くの経験をさせてもらえたし「私はずっとここにいるんだろうな」と思っていました。


―そんな充実した日々の中で、ロシアとウクライナ間で戦争が始まりました。


最初はバレエと戦争は関係ないと甘い考えでいたのですが、日本の駐在員は皆、帰国してしまい、モスクワから外国人がどんどんいなくなってしまいました。ついには劇場の監督(フランス人)まで辞めてしまったので、ダンサーたちもロシア人以外は自国に帰ることになり、私も帰国を余儀なくされました。


―帰国後、新国立劇場バレエ団へ入団します。何かきっかけはありましたか。


どうしようと思っていた時に、新国立劇場がロシアやウクライナから帰国したダンサー向けに、体づくりのためのレッスンを開いてくださっていたので、参加してみました。その時に劇場の事務の方から「追加オーディションがあるので、受けてみませんか?」と声をかけていただいて。


―ご縁やタイミングってありますね。


追加オーディションを受けて、無事入団が決まりました。もう新国立に来て3シーズン目です。新国立劇場バレエ団はリハーサル期間がとても長くて、毎回しっかり準備して本番を迎えます。だからこそ、舞台に立つときはすごく緊張がありますし、責任も大きくなります。


―ロシアのバレエ団との違いなどありますか。


びっくりしたのが「1.5で次は2.75に立って」みたいに、場ミリ(立ち位置)がしっかりと決められていたこと。そこまで細かく決まっているなんて、最初は本当に衝撃でした(笑)でも、それだけ緻密に作り上げるからこそ、完成度の高い舞台になるんだと実感しました。


―さすがは新国立劇場ですね。


今の環境には満足していますし、私の中で気持ちは定まっています。だけど、今でもふと迷うときがあります。心の奥底には、ロシアバレエへの強い想いが残っていて。私はもうロシアに戻ることはないのだろうかって思う時があります。だけど今は、新国立劇場でやっていけたらと思ってます。


―今後、どんなバレリーナになっていきたいですか。


私の舞台を観て、心が動いて踊って「また明日も頑張ろう」と思っていただけるようなダンサーになりたいです。同じ役でも毎回違うニュアンスで踊ることで「何度でも観たい」と感じていただけたら嬉しいです。
ロシアバレエのダイナミックさを大切にしながら、繊細な表現もできるダンサーを目指していきたいです。


―これからも直塚美穂を応援していきます。本日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。

直塚美穂さんが歩まれてきたバレエ人生を振り返ると、幾度も迷い立ち止まりながら成長を遂げてきたように感じました。久美子との出会いやロシアで過ごした日々は、バレリーナとしての根幹を築いてくれたことでしょう。直塚美穂さんがこれからどんな選択をするのか、そしてどんなバレエを見せてくれるのか楽しみです。